社畜フルマラソン

【レースまでの経緯】

つくマラにて、かつて一緒にトライアスロンをした皆さんの好走に触発されて、シーズン中にもう一本でよう!と意気込み、ひとまず仕事がひと段落しているであろう時期の日程からレースを選んでエントリー。

そこから年末までは良い練習が出来ていたが、年始から仕事が激化して、ほとんど走ることができなくなってしまった。

走距離に比例するようにトータルのメンタル面も急降下し、このような状態で臨んだカーフマン南関東は燦々たるものであった。

 

経験上こういった状態は「仕事が忙しくて走る時間がない」という決めつけから入っていることが多いとわかっていたので、【社畜フルマラソン】とネタにしてTwitterに継続投稿することで、多少無理やりではあるがこれを駆動力としてランニングを再び習慣に組み込むようにした。

 

この時点でフルマラソンちょうど1ヶ月前

 

2月後半~3月中旬まではプラント定修(参考 https://www.tri-arrow.co.jp/lab/occupation/24912.html)と被っており、これの総責任者を務めていた関係で2月残業65時間(+α)、3月残業40時間(現状)、6連勤,7連勤がベースとなる仕事が激しい時期であったが、無理矢理ランニングが功を奏して、心身ともに活力に溢れた状態でこの期間を乗り越えることができた。

我ながら非常に単純な作りをしていて扱いやすい人間である。

 

具体的な練習の中身としては、朝ジョグ8kmくらいと休日の20km走。これを合わせて週45km程を3週行い、直前の1週間は鈍らせない程度に運動して疲労を抜いた。

本来フルマラソン前は40km/週程度の走り込みを3,4ヶ月継続して臨むのがマイルーティンとなっていたので些か不安があったが感触は悪くなかった。

 

ついでに経験上重要となることがわかっている腹筋と臀筋の筋トレとして、腹筋ローラーとケトルベルスイングを極力毎日こなした。

少しだけ6パックが戻った気がする。

 

体重についても2月初旬のハーフマラソンの時点で69-70kgあり、我ながらブヒブヒ言いながら走ってる感覚があったので、仕事終わりにコンビニ寄ってお菓子買うのをやめるのと、野菜を食べる(料理はあまりできないので温野菜)、夜の炭水化物をちょっと控える、これをストレスにならない程度に行った。

開始時点で68kg近くあった体重を当日65kg台まで減らすことができた。

66kg台に乗ったあたりから如実に軽さを感じだし、絞れてる時の方が顔もシュッとしてカッコ良い(当社比)気がするのでこらからも65-66kg台をなんとかキープしたい。(願望)

 

 

【レース】

 

【朝】

スタート時間9時に対し、4時半に起床。

レースの何時間前なら起きておこう、とかそういった意識高い行動ではなく、単に泊まってたビジホが喫煙可の部屋しかなくて、ニオイに耐えられず起きてしまっただけ。

とりあえず散歩して、コンビニでバナナ3本と塩むすびウイダー×2を購入し、ゆっくり食べた。(ここら辺はフルマラソン出る時は固定メニューとなっている。)

 

レース開始1時間前に会場入りして、ささっと着替えて、荷物預けて…まではよかったのだが、お手洗いの列が万里の長城レベルで長くて全ての支度を終えたのが割とレース直前となってしまった。

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細かいことを気にしすぎてメンタルを乱しても仕方ないのでテキトーに2本くらい流しをしてスタート列へ整列。

気温が高くなると言われていたが、この時点では割と寒かった。

 

【〜10km】

サブスリーペーサーの背中にビタ付きで走った。

心拍も160台と心肺面では過去になく好調で、これはもしや…と思いながら走る。

気温が高くなることが予想されたので、積極的に給水したかったが、集団の中での位置取りの関係や、ハーフマラソンの部との混走の関係で給水を取り逃がすことが多々あった。

今回のコースはエイドが割と少なく、取り逃がすと後々のことを考えるとちょっと心配になりそうになったが、すぐにとりあえず細かいことを気にするのはやめようと切り替えて走った。大雑把メンタリティこそ最強。

 

【〜20km】

今回のコースはざっくり説明すると道路中央で区切られたコースを往復する形となるのだが、ハーフの部と混走している関係で道路左端をハーフ(の後ろのブロックスタートの人)、それを中央側から追い抜く私たち、右側を復路のランナー、と言った3列(場合によっては4列)で走る構造となっていた。

ハーフのランナーが少しばかり中央寄りに走っているとそれを避ける為にペーサーも進路をずらしたり、ペースを変動させたりして、その度に集団を伸び縮みした。

また平常巡航時も集団内でペースが安定していないランナーもおり、細かくインターバルを繰り返しながら走っている状態となり、12km地点でちょっとばかり脚の重さを感じた。

ここで予定より速かったが3個携帯している補給食のうちの一個を食べた。

たぶんタイミングは適切だったと思う。

 

【〜30km地点】

セルフインターバルを繰り返す集団で少しばかりストレスが溜まっていたので、集団のちょっと前でほぼ同じペースで単独走するランナーにくっつこうと思って飛び出す。

「一緒に行こうぜ!」と言わんばかりにハンドサインを出したら彼は直後のエイドステーションでトイレに消えていった。

「ええ〜!?」と声に出してしまった。

 

とはいえ体はまだよく動き、計画通り25km地点で補給食、27km地点でカフェインのゼリーを食べた。脚は重くなってきていたが、まだまだいけそうな感覚があり、うっすらと「今日、キテるんじゃない…!?」と胸を踊らしながら走った。

 

30km手前で若干手の痺れを感じたので、(経験上からは脱水の兆候)、単独走の利を生かしてしっかり目に給水をとった。

 

【〜35km】

30km超えても勢いは衰えず、いよいよサブスリーが現実的になってきた。

苦しくもなってきたが、心の中でニヤケが止まらない。

 

32km地点で折り返しさあ復路!と思ったところで一気に脚が動かなくなった。アイツ(30kmの壁)はいつも突然現れるのだ。

 

思い切って速度を落とし、後ろから合流するサブスリーペーサー集団につこうとするも脚が動かず1kmほどで離れてしまった。

小さくなっていく集団の背中を見送りながら「あ〜結局いつものやつか〜」と思いながらトボトボ走る。

こうなってしまった後のフルマラソンは残り距離に関わらず途方もなく長い。

 

自己ベスト(だいたい3時間2分)で走った時の横浜マラソンも大体同じペースで刻み続けて32kmで爆死している。

おそらく4:10-15/kmで刻み続けられる時間の限界がこの辺りなんだろうなと思った。

これを改善する為には30km以上の走り込みや、10kmのタイムの向上など、所謂きつい練習をしなくてはならない気がするが、ここまで突き詰めてやるかは慎重に考えていきたい。

 

【〜ゴール】

ひたすらに長かった。

感覚的に30kmまでが体感時間の2割、そこから35kmまでが3割、残りが5割くらいだった。

 

本当に長かった。

鍛え上げた腹筋(三段腹の中段)が完全にストライキを起こして接地後の反発力が生み出せない感じがした。

脚も逝ってるので、身体のどこを使っても駆動力が生み出さず、途方にくれていた。

ただ午後からの雨予報を避けたい気持ちだけが身体を動かした。

お天気耐え男(実績2023横浜マラソン、2024神奈川マラソンなどなど)のメンツにかけてなんとか本降りになる前にゴール、撤退したいという一心で走った。

 

【記録】

3時間06分03秒(手元)

サブスリーこそのがしたが、今回の取り組みを思えば大満足。

これからは単に記録の速さを評価軸とするのではなく、取り組みに対して満足できる結果だったか?という観点を大切にしていきたい。

そういう意味では今回の遠征は80点。

20点分はサブスリーできなかった悔しさの分。

総じて見ると今はかなりの達成感と満足感に包まれている。

 

近年のレースレポートの結びはいつもだいたいこんな感じになってしまうが、これからはスポーツとの距離感をうまーく作っていきたい。

やっぱり速くなれることは嬉しいが、社会人である手前いつでも最高にベストな状態でレースに臨めるわけではないし、過度に記録を追い求めすぎると、それに見合った練習ができていない時にどうしてもモヤモヤしてしまう。

自分の性格上スイッチが入ってしまうと生活がそればかりになってしまうのも難点だと思ってる。

 

とはいえ先述の通り自分にとってスポーツ、とりわけ走ることはかなり大切な行為であり、上手く言葉にならないがもっと肩の力を脱いて上手に生活に取り入れていきたい。

 

本当にいい歳なので、(本当にいい歳なので!)、仕事も趣味(スポーツ)も私生活も、うまーく成り立たせていきたい。

 

27も終わりにさしかかり、いろんなことが心配である。

 

【今後の予定】

横浜トライアスロン

南紀白浜トライアスロン(無事エントリーできていれば)

 

霞ヶ浦トライアスロン伊良湖トライアスロン

つくばマラソン

 

なんかのウルトラマラソン

 

おしまい

 

神奈川マラソン(ハーフ)

 

【自己ベスト】

1時間28分25秒(2018 日立さくらロードレース)

【今回ノルマ】

1時間30分00秒

【70点目標】

自己ベスト

【100点目標】

1時間25分00秒切り

 

【リザルト】

1時間26分08秒(自己評価75点)

 

【事前練習】

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ラソン系のレースを本気で狙う場合は3,4ヶ月前から40km/週をベースに練習するが、今回は仕事の波や身体の活動HPの絶対値が落ちる(感覚のある)冬季であること、メンタル面の起伏などあり、15-30km/週程度と思うように走り込めていない状況だった。

バイクについてはローラーで30分程度の高強度練習を週1,2回実施していたため、練習量の割には心臓の動きは割と良い状態だと感じた。

年明けのリレーマラソンで思いのほか走れたのはこのローラー練が効いていそう。

 

【コンディションほか】

気温5℃ほど、風はそこまで強くなかったが、直前までまあまあの降雨があり空気は冷え切った感じ。

服装はノースリーブ、半袖、ロンTと3種類用意したが、アップをしたら思いのほか体が温まったので半袖をチョイス。結果的にはノースリーブでもいけたかもしれない。

シューズはヴェイパーフライ。

ウォームアップは2キロほどのジョグ、ゆっくり走り始めて最終的にレースペースより少し速いくらいまで上げ、そのあと数本流しをした。

やたら心拍数が上がったのが気になる。

 

とはいえ、当日の降雨でテンション駄々下りだったのでサポートに入ってくれたまさとさんマツコみきおに「今日の俺は期待して良いですよ😎」などと妄言を吐いて自身を鼓舞する。f:id:ma2ma2ma2:20240205215421j:image

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(こっち見んな!の図)

【コース】

どうせ平坦だろと思って下調べもせずに挑んだら、首都高の高架をひたすら登って降って往復するアップダウンしかないコースだった。

高架のくだりが思いのほか急勾配でうまく体重を乗せられずブレーキをかけてしまい大腿四頭筋が悲鳴を上げる。かと思えば降ったらすぐ折り返しで折角乗せたスピードを殺してゼロスピードからの登坂スタート。このコースは脚を殺しにきていた。

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【レース】

学連陸連を除いた集団ほぼ先頭からスタート。

序盤はキロ4を少し切るペースで巡航する想定で走る。

首都高(山)をひとつ超えて折り返して少し進んだところで5km。だいたい19分30秒。

心拍数は180前後と想定170台での巡航と比較し少々高めだが苦しさは感じない。

ただこの時点で左脚の脛のあたりの筋肉が弾力を失ってきているのを感じる。

1往復目の復路約8km地点で大腿四頭筋の弾力が失われてるのを感じる。これは出力の仕方を間違えると盛大に攣るやつ。

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ここらで心拍数が190を超え始めてちょっと抑えないと多分あとで死ぬやつだなと思い深呼吸などしてみるもなかなか心拍数は下がってくれない。

幸いまだ息苦しさはないので慎重に巡航継続。

 

1往復終了しスタート地点に戻ってちょっと走ったところで10km通過。39:30ほど。

折り返し近くでサポート一団を見つけたので軽くペースを上げてカッコつける。

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しかし2往復目の登りで完全に心臓がオーバーヒートを起こす。

心拍数203とはなにごと。

(基本最大心拍数は220-年齢で試算される。私は永遠の17歳なので心拍数が203まで上がるのは必然なのだが)

 

ここで脚も心肺も打ち上がってしまったがここで大崩れせずに再度建て直せたのは、なんだかんだ歳をとって精神面が少しばかり成長したからか。

ここまでキロ4分ちょい切るくらいからキロ4一桁でまとめてきたラップが4分20秒前後まで落ちるがここで堪えて立て直す。

 

15km過ぎからは記憶はない。

とにかく自分が完全に潰れない範囲内での最大負荷で走った。高架から降りたらペースを上げることを心に誓いながら耐える。

上体の姿勢維持で酷使され続けた腹筋が悲鳴を上げる。

約2万歩の歩みを支えた大腿四頭筋と臀筋はストライキ寸前。

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しかし高架から下り平坦区間に入った後もペースは安定はすれどあげきれずにフィニッシュ。

ここが自己ベストながらも渋い採点とした所以。

 

また2022年2023年の横浜マラソン(フル)の通過も88分台でこなせていたところから、なんやかんやハーフ一本のベストタイムはもっと高いところにあると試算していたのもある。

 

まあフィジカル面の衰えについては練習量に(負の方向に)比例して、どうしても感じてしまうところはあるが、総じてレースをまとめる力は向上し続けている感覚がある。

 

脚が動かなくなるのも、試算と実際のタイムに乖離が出るのも一言でいえば練習不足なのだが、今の自分にはここを埋めることに割く労力を別のところに使いたい。

今は必要最低限のリソースでいかに身体の状態を維持するか(劣化を緩やかにするか)がポイント。

 

部署異動などで労働の諸条件が整えばまたいつでもあちら側に戻れるようにしたい。

 

ひとまず生活にハリを持たせる目的でちょっとずつ筋トレやランニングや交えていきたい。

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おしまい。

 

佐渡国際トライアスロンA

佐渡から帰ってきてはや2週間

レースレポートを書こうと思う気持ちはあったがずっとバタバタしていて時間が経ってしまった。

 

ぶっちゃけもう成績的な部分を目標にしてレースに出ることはおそらくないだろうし、レース内容的な部分は割愛して、今後の自身への備忘録として、精神的なところをメモしようと思う。

 

レース前


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今まだになく穏やかな気持ちでレース前の時間を過ごしていた。

良い成績が残せる自信があったわけではない。

寧ろ完走できるかどうか、という不安も確かに心の中に介在していた。

練習時間は良くて月間20時間

トップ選手なら1週間でこなす量である。

それでも、限られた時間の中で、仕事に忙殺される中で、自分はやれるだけのことはやった。どんな結果になろうともこれが自分のベストレースになる、どんな結果も受け入れられるという確信と覚悟があったように記憶している。

 

非常に穏やかな気持ちだった。

自身の20代に何を残せるか、問う旅が始まる

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スイムは決して速くなかったが、なんとか陸に上がりバイクに乗り込む。

 

100kmくらいまでは良く体が動いたが、以降は脚が鉛のように感じられた。

客観的に考えると練習不足である。

疲れが出てくると同時に心の中に多少ネガティブな気持ちが育っていくのを感じた。

 

なぜ自分は人と同じようにやれないのかとか、ここまでのトレーニングとりわけ社会人になってからの練習が全てひとりぼっちで寂しかったとか、全く分類されていない、とりあえずマイナスな感情がぷつぷつと湧き出る。

 

最後はヘロヘロになりながらランに移る。

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走り始めた時はもう終わったと思った。

ここから40km以上走る自分は全くイメージ出来なかった。

 

応援に来てくれたマツコに「俺、完走できないかも」と弱音を吐いてしまった。

しかし彼は「走ればなんとかなります」と言ったようなことを返してくれたように記憶している。

いま思うと何のアドバイスにもなっていないが、あの瞬間、尊敬する後輩にかけてもらったあの言葉はどんな薬にも勝る効果を発揮し、力が漲った。

 

それでも道中では、両膝をついてレースを投げ出したくなるくらい辛かったが、そんな中で走ろうと思えたのは、理性を超えて、自身の身体に刻まれた(競技に打ち込んできた)8.5年間という時間の重みが無意識にそうさせたからだと、後になって思う。

 

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12時間経過し、自身の20代に何を残せるか問い続けた旅路がようやく終わる

 

ゴール後に流れたのは安堵の涙か、達成感の涙か、少なくともネガティヴなものではなかった。

 

年齢的に良い大人になって、社会人になって、そんな中でも涙が出るくらい本気で何かに打ち込めたこと、本当に幸せだと思う。

 

出来れば自分の周囲の人間にも何か自分の好きなことを本気で突き詰めて欲しいなと思う。

好きなことを突き詰めてるときの姿こそが、その人にとって最も魅力的な状態だと思うので。

 

今後はそうやって、魅力的にあろうと努力する人のそばに寄り添ってサポートすることに注力していきたいです。

 

皆さんが私にしてくれたことと同じように。

 

皆さん本当にありがとうございました。

次は私にお手伝いさせてください。

 

おしまい。